My Funny Footnote

映画のことをノートしていきます。

ミシェル・フランコ監督『ニューオーダー』(2020)

見たいと思いつつ映画館で見られなかった『ニューオーダー』をU-NEXTで見た。

 

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暴力はダメだと人は言う。それは分かっている。でもそのあまりに教科書な言い方に、何となく釈然としないものを覚えることもある。それって現実が見えてないんじゃないの?とか。

暴力がまかり通るということがどういうことか、この映画は明らかにしてくれる。

そして暴力はダメだ、とはこういうことか、暴力がまかり通る世界はこんなにも悲惨なのか、と、この映画が与えるひどい不快感とともに黙り込むことになる。

 

予告のトレイラーを見ていて、ある瞬間を境に世界が一変する単純な展開を予想していたが、そんなことはなかった。富裕層の結婚式のパーティ。その外側では暴動が起きている。ただそれを、彼ら特有の鈍感さで無視しているだけだ。

描かれるのはパーティという祝祭。これは「日常」においては「非日常」として祝われるはずだが、外部で起きている暴動という本物の「非日常」においては、単なる日常の延長に過ぎない。外部ではすでに世界が崩壊している日常の、淡々とした描写。(ちょっと角度は違うが、ハネケの『タイム・オブ・ザ・ウルフ』とか、ラース・フォン・トリアーの『メランコリア』を思い出した)

 

監督のフランコを突き動かしているのは、このグロテスクな格差社会を正さねば、取り返しのつかないことが起きるという切迫した危機感だろう。日本ではそれが新しい資本主義の段階であって、これから解決していこうという構えだが、むしろ現在発生しているのは、プリミティブな格差社会であって、暴力的な局面への脅威が迫っていると、この映画は主張する。

 

冒頭の印象的な絵は、ロドリゲス・グラハムという画家のものだということが最後に明らかにされる。

まず最初に見た時は、アカデミズム崩壊後の「平等主義」的な絵画が、高額な商品として富裕層の家に飾られるという皮肉かな、などと思っていた。でもこの絵は、もっと別の意味を持っていたのだ。

この絵は「死者だけが戦争の終わりを見た」というタイトルを持つという。映画に仕掛けられたメッセージ。富裕層は時限爆弾を知らぬまま自分の家にしかけていたようなものだ。タイトルによって新しい意味を帯びてくるという現代的な抽象画の仕掛けを巧みに使っている。