My Funny Footnote

映画のことをノートしていきます。

ダルデンヌ兄弟監督『トリとロキタ』(2023)

 

Denkikanで『トリとロキタ』を見た。

bitters.co.jp

 

最初の場面。ロキタが質問を受けている。視線は正面から彼女を捉える。のちに明らかになる通り、ここで彼女は嘘をついている。そこに何か考え込まされるものがある。

正面から彼女を問いただす視線は、公的なものが彼女に向けるものだ。そしてそれは決して彼女を救うことも、もちろんその本当の姿を捉えることもできない。ダルデンヌは彼らを正面から捉えることはない。その姿を追うだけだ。そしてその視線だけが、彼らの「出来事」に直面させることができる。

 

イゴールの約束』以来のダルデンヌ・スタイルであることは、この映画を体験した誰もが思うことだろう。ただ個人的な感覚としては、この映画を見て、今まで見てきたダルデンヌ兄弟の作品の見方が少し変わったように思う。

ここには圧倒的な「ドラマ」がある。トリのアドベンチャーとロキタのノワール。もちろんそれはウソっぽいとか作られすぎているとかそういうことではない。移民の人々の実体験が、唖然とするようなドラマチックな出来事に満ちていることがあるように、ドラマのような出来事が現実に起きてしまっていること。ダルデンヌはこの「ドラマ」に身を委ねているように思える。

思えば『イゴールの約束』にしても『少年と自転車』にしても、アクションの連鎖というきわめて伝統的なドラマの構成がある。会話にせよ何にせよ、すべてがその連鎖に奉仕する。考える時間、解釈の余地すらないほどに。

今までダルデンヌ・スタイルは、ドキュメンタリーから発展した手法のように思ってきたが、もう少し複雑に理解する必要があるかもしれない。藤元明緒の映画もそうだ。出来事に直面し、それを追求した果てに、圧倒的なドラマが立ち上がる。これは単に事実に基づいているとか、脚色したとか、そういう問題とは違う。

 

トリの最後の訴えは真に胸を打つ。しかし突きつけられる峻厳な出来事に対して、涙を流す猶予すら与えられない。