My Funny Footnote

映画のことをノートしていきます。

リューベン・オストルンド監督『逆転のトライアングル』(2023)

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先日、熊本のデンキカンで鑑賞。

前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』の風刺の容赦のなさはそのままに、明快さ、分かりやすさ(オストルンド自身は「アメリカ映画」的と言っている)がプラスされた。前回カンヌを制したなら今回も、と思わせる。

 

映画は3部作に分かれていて、第1部がファッション業界、第2部が豪華客船、第3部が無人島。それぞれ、外見、資産、サバイバル力によってヒエラルキーが決まる階級社会となっている。しかもそれを一般的な世間からは隔絶したものとは描かずに、現代社会にはびこっている数々のマウントの取り合いの「あるある」を畳みかけまくる。拡大鏡をどっかと置いて、デフォルメされて、けらけら笑いながらも笑われているのはいつも自分たち、という。ほとんどマゾヒスティックな快感、治りかけの傷をいじり回すようなじくじく湿った快楽を感じてしまう。

 

ただ、少し微妙に感じてしまうのは、これはやっぱりセレブによるセレブ批判という感じがするということだ。インタビューでもオストルンド監督は自分自身が特権階級の一員だということをちゃんと言っている。彼自身が優れてスタイリッシュなセレブの一員であって、結局のところセレブの破壊者、対抗者ではない。だからこの映画をもっとも喜ぶのも自己自身を批判的に見ることのできる精神をもった知的に優れたセレブだという気がする。クリティカルセレブによるクリティカルセレブのための映画。

早い話、カンヌでは歓迎されそう。アカデミーでは嫌われそう。アカデミーの会員は、むしろ監督の立場よりも、痛めつけられる映画の中の登場人物に近い感じがするし。

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しかし文句が言えないほどクオリティーが高い。

彼が尊敬するというミヒャエル・ハネケ要素が後退した代わりに、映像そのものの力が増したような印象がある。

豪華客船の上で、日光浴をする美男美女(チャールビ・ディーンとハリス・ディキンソン)。これはもうフランスの古典的映画かと思うほどほれぼれする絵となっている。しかしそこに常にハエがぷんぷん飛んでいるという意地悪さ。

第二部の始まり。「クソ」(=肥料)を売る富豪が要望したヌテラの入った黄色いアタッシュケースが落ちる。乗組員が並んでデッキを掃除している。これはもうロイ・アンダーソンのような強烈さと寓意性があるショット! ヌテラはパンに塗るチョコクリームで、これをヘリで運ばせる富豪というのもじわじわ笑わせる。

富豪たちの嘔吐下痢。豪華客船の汚水の逆流。監督は船の爆発を、富豪の階級社会を破壊する象徴だと言っているが、こっちのほうがよっぽど、というか文字通りまさに下剋上になっている。下のものが上のものを圧倒する。

ラストはオープンエンド。美男の疾走は、女帝に愛を告白するために嬉々として風を切って走っているのだと思いたい。